良質の言葉に出合わせて クリスチャンメディアに今求められるもの 50周年記念シンポ⑮

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2017年10月22日号

写真=編集長どうしで丁丁発止の場面も

2017年創刊50周年記念関連記事を再掲します。

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つづき大嶋 今若者たちが右傾化している理由の1つにはSNSのLINEニュースなどで無料配信されている産経新聞系のニュースがあります。クリスチャンの若者たちがスマートフォンで見ているニュースの中で、すぐれた言葉に出合っていく機会が必要です。クリスチャン新聞(CS)の記事だけで、すべてのものの見方が形成されるのではありませんが、「こういう本を読まなきゃいけない」「この人の言葉をこれから聞かなきゃいけない」という扉の役割があります。良書へ出合える質の高いネットサイトを早く作っていただきたい。論説の復活も願います。メディアが中立公正であることなどありえないと、もうこの時代の人々は知っています。世の中が右傾化したり左傾化したりしたら、中立それ自体が左右に動くわけですから。論説がSNSでシェアされ、若者が鋭い言葉に出会い、物の見方の形成をしてほしい。

次世代の読み手、書き手を

 さらに新しい書き手の発掘です。私がCSで初めて青年伝道について連載記事を書かせていただいたのが20代の後半でした。自分の記事が紙面に載るという緊張感がありました。若い伝道者や神学生、あるいは全国の様々な教会のリーダーの中に書き手を見つけ、ぐ役割がCSにあります。いい加減なこと書いちゃいけないという緊張感が50年の歴史から生まれていると思います。それが新しい出版、次の時代のオピニオンリーダーを生み出すことにつながると思います

 髙橋 実際に「書きたい」と思っている若い人たちはいるでしょうか。

 大嶋  「書き手を育てたい」と思うことも重要だと思っていて、育てて、繋げていくということであれば彼らは書くと思うんです。彼らの言葉はおそらく記事の体裁に合わないかもしれませんが、ネットならば可能でしょうし、記事の書き方を学ぶ機会があれば書ける人がたくさんいるのではないかと思います。今はSNS、ブログで発信することができる時代なので、昔よりも書ける人は多いのではないかと思います。私もツイッターで「センスいい文章だな」と思う若者にはたくさん出会います。自分の記事が載れば、本人はおそらくシェアするでしょう。新しい書き手の発掘は新しい読み手の発掘につながります。無料配信がCSのみならずいのちのことば社への大打撃になるとはあまり思いません。むしろ良書の展開も含めて、新しい展開が見えるんじゃないかと思います。

 髙橋 では松谷さんに。うちのライバル社です。

 松谷 今お二人がCSに求めることをおっしゃっていましたが、ことごとくやられてしまうと、うちは商売上がったりなので、控えめにしていただきたければありがたいんですが(笑)。そういうライバル関係に長くあるキリスト新聞(KS)の松谷と申します。KSは戦後翌年の1946年創刊ですので、創刊71年目。その後発として、KSだけではだめだろうという方々がCSを立ち上げたとうかがっております。CSに限らず福音派自体の姿勢もやはり、いわゆる主流派と言われるような、NCC(日本キリスト教協議会)系ではない方として立ち上がった流れかなと。↖

 業界全体の流れの中ではCSとKS、カトリック新聞の3紙と、かつてのリバイバル新聞(月刊誌『舟の右側』に継承)がありました。人口1%未満と言われているクリスチャンの中で専門紙がいくつもある状態がいいのか分からないですが、住み分けとしては、福音派ではない人たち向けの新聞をKSの役割としてはやってきたのかなと。最近は福音派も福音派でない人も一緒になって何かをやろうという流れになってきて、いいことかなと思います。KSは、取材対象としては福音派も取材をするし、カトリックや聖公会、コプト教会も取材します。網羅的に報道するところが特徴かなと思います。もう一つは文書伝道という言い方をCSさんはされてきたと思うんですが、KSはどちらかというと一報道機関として客観的中立公平公正な立場から報道するキリスト教ジャーナリズムの方に寄っているというのが、違いとして言えるかなと思います。

 KSは最近ちょっとオシャレなタブロイド判になりました。体裁だけでなく意識して変えたのは信者ではない人、クリスマスを祝うけれど、大晦日はお寺、新年は神社に行く、という人も含めて、キリスト教になんとなく関心を持っている人とか、そういう方が読んでも面白いと思ってもらえるような媒体にしたいなということです。人口1%未満の人だけを対象にして、新聞だけでは生き残れません。それ以外から読者を獲得していかないと、ということで最近はアプリも展開しています。

 髙橋 それは伝道とは言わないということですか。

 松谷 そこは微妙なんですが、いわば信者のマーケットではないところにも乗り出していこうかなというのが、今のKSの立場です。

 髙橋 福音派、主流派が相互乗り入れをしてきているということですが、大嶋さんの現場の感覚ではどうですか

 大嶋 ここ10年ほど前から、KGKに来る学生たちも主流派と言われるところからペンテコステ派と言われるところまで、様々なところから参加してくださるようになりました。私も先日、日本基督教団の青年伝道担当者会議に講演で呼んでいただきました。日本福音同盟の広瀬薫理事長が言うには、「NCCが大変だった時期に福音派が十分にお手伝いしなかったことを悔い改めなければいけないんじゃないか」と。「自分たちだけが良ければいい」というところから、むしろそこに痛みがあるならば痛みに寄り添っていく、相互に役に立っていく、という時代に入ってきたのではないかと感じています。

 髙橋 次は郡山さん。

郡山さん

写真=記者経験豊富な郡山氏。戦前から現代まで縦横無尽に語った

 郡山 CS創刊の頃から知っている、付き合いのあった人は私しかいないということでお招きを受けました。私の生まれた年が1938年の早生まれですから、みなさんの中で数少ない空襲と機銃掃射の経験者です。今でも東京を歩くと、ここは昔は焼けたな、焼け残ったなと大体見当が付きます。日経は2004年に退社しました。いろんなところに出向しましたが、今はCJC通信をやっています。CJC通信は、松谷さんがウィキペディアに書いてくださったところによると1973年10月にできたとのこと。本来は、こういう通信をやる者は顔をさらさない方がいいんです。今日を機会にCJCというクレジットを見たら、「ああ、あの人がやってんだな」とみなさん思うでしょ。これは良くないんです。

 引き出しがたくさんありすぎて、どれを引いたらいいのか分かりませんので、後はみなさんの質問に応じてお話ししたいと思います。

 髙橋 ありがとうございました。後半は会場のみなさんからのご意見を取り上げながら、話を進めていきたいと思います(つづく

50周年記念関連記事リストはこちら→ クリスチャン新聞50周年記念号記事を再掲載

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クリスチャン新聞は、1967年5月にそれまで月刊で発行されていた『福音ジャーナル』を母体に創刊し、日曜礼拝を中心とするクリスチャンの生活サイクルに合わせ、同年11月からは週刊で発行してきました。

50周年を迎えた2017年には、4回の特集、2回の記念集会を実施しました。改めてこの50余年の報道の歴史を通して、戦後の諸教会の宣教の一端をご覧いただければ幸いです。

※毎週火曜、土曜に本オンラインで掲載します

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