討論を終えて 登壇者より  50周年記念シンポ

2017年創刊50周年記念関連記事を再掲します。

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少数者の声発し続けて 朝岡 勝

今の時代にクリスチャンメディアに求められる一つの使命として、少数者の声を時代と社会に向けて発するという役割があるでしょう。

昨今の日本のメディア、ジャーナリズムは危機的な状況にあります。今年4月26日に発表された、国際NGO「国境なき記者団」による報道の自由度ランキングにおいて、日本は昨年同様の72位で、主要7か国(G7)の中で最下位だったと報道されました。2010年が11位であったのに比べ、その低下の著しさが目につきます。「フェイクニュース」、「ポストトゥルース」などという新しい言葉も登場してきました。権力を持つ者たちがジャーナリズムをあからさまに威嚇するような出来事も続いています。沈黙を強いられていく息苦しさが広がっています。

しかし、かつて沈黙の時代に抗うようにして非戦の主張を貫いたキリスト者たちもいました。その代表的な人物が安中教会牧師の柏木義円です。柏木は個人新聞「上毛教界月報」の主筆として、一貫して反戦・非戦の論陣を張り、時の政権や軍部を批判し、それゆえにたびたびの発禁処分を受けながらもその論調を曲げず、その主張を貫きました。そこに今の私たちがモデルとすべき一つの姿があるように思います。

書き手発掘と預言者的使命 大嶋重徳

クリスチャン新聞50周年おめでとうございます。シンポジウムを振り返り、当日に語りきれなかったことを幾つかあげます。一つめはクリスチャン新聞記者の「良くここまで来てくださったな」と思える丁寧な取材への感謝です。全国を飛び回り、足で教会を回られる姿に、いつも感動しています。シンポジウムでは何より記者お一人お一人のお働きに、いをお伝えし損ねていたことを残念に思っていました。

 2つ目のことは、高橋編集長から「書き手はいますか?」という問いに、もっとはっきりと「はい」とお答えすべきでした。何より新しい書き手の発掘こそが、クリスチャン新聞の今後の鍵だと思うからです。新聞の良し悪しを決めるのは、何よりも質の高い正確な記事です。そして各地域には、質の高い原稿を書くことのできる牧師、信徒がおられます。まずはクリスチャン新聞がそのような新しい書き手がいることに期待をすることなのだと思います。クリスチャン新聞50年の歴史は、よき緊張を書き手に与え、よき書き手が育てられていきます。そしてその書き手たちから、新しい読み手の広がりが必ず生まれていくこととなります。

 3つ目はやはり論説の復活です。次世代にクリスチャンとして、時代をどのように見るのかという預言者的な使命をよりはっきりと打ち出していっていただけたらと願います。

伝え方再考と議論の喚起を 松谷信司

 常に意識せざるを得ないライバル紙の懐に飛び込む心境でした。会場からは「狭い業界に2紙も要らない」「ネットに注力すべき」など、思いのほか鋭い意見が寄せられました。2紙が「朝日」と「産経」ほど異なれば、それなりに存在意義があるのかもしれませんが、この人材難、経営難のご時世に「紙の新聞を2つとも……」は確かに現実的ではありません。むしろ手分けして取材し、通信社のように記事をシェアした方が読者の益にもなると思います。

 第三者からの無責任な提言としては、SNSの活用法を工夫してほしいです。事務的な宣伝だけでなく、スタッフ個人が設定も練った上で「キャラ立ち」するアカウント運営ができれば、より広い読者の支持を得られるのではないでしょうか。せっかくの良質なコンテンツをより効率的に認知してもらうための工夫は互いもっと貪欲に追求すべきでしょう。

 また、「文書伝道」色が強くプロバガンダに見られがちな点も再考の余地ありです。自浄作用を持つキリスト教メディアとして、過去の「教会成長」や「聖書信仰」、福音派の歩みを検証する論争的な記事などが読みたいです。

 これを機に、さらに踏み込んで議論を深める場があればと願っています。

「情報のプロ」として仕えて 郡山千里

 「クリスチャン新聞を支える」。その時、これまで愛読してきたクリスチャン新聞の紙面を考えるのではない。クリスチャン新聞のすべてを支える必要がある。それは「いのちのことば社」を支えることだ。

 「いのちのことば社」は創設以来、「文書伝道」を行うことで「教会」に仕えて来た。

 「伝道」というからには、「無償」が前提だが、「文書伝道」は例外だ。

「福音はあまねく伝えられなければ」ならない。福音に「大量需要」があるとすれば、それに対応して紙とインク、印刷機による「大量生産」を行わなければならず、その費用を捻出するため「有償」は必至だった。

 今日、急速に進む「電子化」は、「大量需要」「大量生産」の転換をも迫る。クリスチャン新聞はすでに「電子版」という形で対応を始めている。

 ただ、これまで同様、まず「紙」の新聞を作り、それをネット上に載せているが、これからはまずネット上に載せる「電子版」を作り、そこから「紙」の新聞を作るように順序が逆転する。

 クリスチャン新聞は、まずこれまでに築き上げてきた発信者(牧師、宣教師、学者、活動家…)とのつながりを生かしさらに強めてほしい。特にスタッフは自身のアンテナを鋭敏にし、身近なことから世界のことまで、日々起きることの中に潜んでいる「神の働き」を掘り出して伝えてほしい。それでこそ「情報の送り手のプロ」であり、「教会に仕える」ことができる。

豊かな協力と誠実な応答に努める 髙橋昌彦

 まずは、当日会場に集まってくださった方々に感謝したいと思います。どれだけの人が参加して下さるかと不安を覚えていた者としては、これだけの参加者が与えられたことに驚くと同時に、自分が考えていた以上にクリスチャンメディアに関心を寄せている人は多いのだと、その中でも「クリスチャン新聞を何とかしなくては」と考えてくださっている人が少なからずいる、と認識を新たにされました。

 今回強く思わされたのは、いろいろな方法、レベルでの外部の人との協力です。自前でできることに限りがある以上、それは当然ですし、自前でやるよりはるかに豊かなものをもたらしてくれる期待があります。50年培ってきた信頼とネットワークは、そこでこそ生かされるものだと思います。

 クリスチャン新聞が不得手としてきたネットツールの活用は、言わずもがなでしょう。現在クリスチャン新聞は、無料の「クリスチャン新聞オンライン」、有料の「web版」「電子版」を提供していますが、今あるものをさらに増強し、有効に活用するため、いのちのことば社全体でプロジェクトを進行させていきます。

 当日フロアーからは予想以上に多くの意見が寄せられました。それらに応えていくことは当然ですが、あるものはいくつか一度に応えられることになるかもしれないし、あるものはなかなか応えるのが難しいものかもしれません。応えないということが選択肢として残ることもあるでしょうか。それでも、寄せられた意見には、一つひとつ塗りつぶすつもりで、向き合っていきたいと思います。

 いずれにしても、基本的には、記事の信頼性と、その記事を発信するメディアの誠実さが問われるのだと思います。今までの50年を支えてくださった方々の期待を裏切ることなく、さらに多くの読者から信頼を寄せていただけるクリスチャン新聞を目指して参ります。

50周年記念関連記事リストはこちら→ クリスチャン新聞50周年記念号記事を再掲載

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クリスチャン新聞は、1967年5月にそれまで月刊で発行されていた『福音ジャーナル』を母体に創刊し、日曜礼拝を中心とするクリスチャンの生活サイクルに合わせ、同年11月からは週刊で発行してきました。

50周年を迎えた2017年には、4回の特集、2回の記念集会を実施しました。改めてこの50余年の報道の歴史を通して、戦後の諸教会の宣教の一端をご覧いただければ幸いです。

※毎週火曜、土曜に本オンラインで掲載します

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